リゾート地として知られる軽井沢の「来し方」と「行く末」について想うことを、「いま」を暮らす住民目線の日常から、ぽつぽつとつぶやいてみたいと思います。
軽井沢には、その歴史に華々しく登場しては、
人知れず消えていったHOTEL達があります。
写真の山は、南軽井沢にある押立山です。
軽井沢駅から碓氷・軽井沢IC方面へ車を走らせると、プリンス通りの直線部分の真正面に見える山です。
山頂が不自然に平坦になっていることに気付かれますか?・・・ここは現在ヘリポートになっています。
昔、この山頂に半円形のホテルが建ちました。
そのホテルの名前がミステリーです。
山の名前から「押立ホテル」と記載した観光地図があるかと思えば「南軽井沢ホテル」と書いた絵葉書もあります。
また、山頂にあることから「ピークホテル」との名称もあったようで、一体どの名前が正式なのか、今となっては軽井沢の歴史資料をひっくり返しても決定打が見つけ出せません。
神保町の紙モノ屋さんなどに伺っても、このホテルのパンフレットは見つかりません。
果たして、一般向けに営業された時期があったのでしょうか?
どなたかご存知の方がおられましたら、是非に教えて戴きたいと思っています。
このホテルからの眺望を収めた写真絵葉書です。
「南軽井沢ホテル」と記載がありますので、この名前が正式名称であった時期は存在していたのだろうと想像致します。
そして、最後のこの↑の写真。
ト書きには「大観楼より浅間山の遠望」とあり、この景色は大観楼というホテルの窓からのものであると書いています・・・しかし、大観楼は山頂にあった建物ではなく、現在の軽井沢72ゴルフ東コースの辺り、平坦な場所にあったものですから、このような眺望は望めないはずです。
恐らく、この写真も「南軽井沢ホテル」の窓から浅間山を眺めたものであろうと思われます。
この、ちょっとした誤植が原因で、押立山頂にあったのは「大観楼」であると思い込む方もお見えになるようです。
いずれにせよ、このホテルがどのような営業をし、どうして消えてしまったのか、私にはまだ調べがついておりません。
横浜生まれの信州育ち。独特の歴史を持つ軽井沢に惹かれ、定住して13年。本業の傍ら、ボランティアとして開局当初よりFM軽井沢で番組制作に取組み、地域コミュニティへの話題を提供中。
07.11軽井沢を走っていた小さな軽便鉄道、草軽電鉄が姿を消してから
06.01今年は草軽電気鉄道が軽井沢から姿を消して半世紀の節目を迎えて

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みなさまからいただいたコメント
温野 さん(神奈川県・女)2009.06.02
軽井沢には、由緒あるホテルがありますが、消えていったホテルもけっこうあるのですね。
ところで、いま、とてもいい季節なのでしょうね〜
遼 さん(長野県・男性)2009.06.03
温野さん 軽井沢のホテルの歴史はシリーズになるくらいエピソードがありますので、資料の揃う順から、こちらでも紹介させていただければと思います。
軽井沢はこれからアカシアが満開を迎え、野薔薇が咲き始めます。
堀辰雄の著、“美しい村”の舞台になった季節ですね。
この時期の軽井沢にも、是非一度お出かけ下さい。
クタビレ爺イ さん(群馬県高崎市 男性)2009.06.05
始めまして
クタビレ爺イの名前でハイキングのブログを運営している者です。この押立山には時々ハイカーたちが登っていますが
西武関連とは想像出来ても何が在った場所なのか?疑問に思っている場所です。1995年の某登山記録では既にホテルは在りません。小生も西武の年表を見ましたが、開業の事は記載されていますが、廃業については触れられていません。
それに他の資料では1937年南軽井沢ホテル開業とかのほかに1942年に大観楼が南軽井沢ホテルに改称とか書いてあるので
混乱しています。
何れ、黒岩山の帰途に寄って見ようと思っていますが。
遼 さん(長野県・男性)2009.06.06
はじめまして。クタビレ爺イさん・・・などとお呼びしてしまって宜しいのでしょうか?ようこそお越しくださいました。
軽井沢町誌に拠りますと、まず「昭和12年(1937年)7月、押立山に円型の展望押立山ホテル開業」とあります。
続いて「昭和13年(1938年)春、南軽井沢に大観楼完成」の記載があります。
やがて戦争が始まり、「昭和19年(1944年)5月、東京都八丈島島民1,200人疎開受け入れの為、南軽井沢大観楼・押立ホテルを開放」の記事が見られます。
この当時、南軽井沢は大観楼を中心に軍事教練所となり、陸軍熊谷航空部隊の訓練飛行場もありました。
しかし、以後、軽井沢町誌の年表に南軽井沢ホテルの名前が記されることはありありませんでした。
終戦直後、軽井沢に進駐した米軍が次々とホテルを接収して行った中、このホテルの名前は一切出てきません。
こんな山の頂上にあるホテルならば、真っ先に接収を受けてもおかしくない訳ですが・・・とすればもう、終戦当時には使えない状態になっていたのかも知れません。
この辺りも「謎」を呼んでいる原因のひとつです。
また資料が見つかりましたら書かせて戴きます。
※当方のブログ「軽井沢タイムマシンプロジェクト」にも南軽井沢関連の記事が御座いますので、宜しければご覧下さい(昨年秋頃~)。
クタビレ爺イ さん(群馬県・男性)2009.06.07
H・遼さま
写真借用願い。
本日、黒岩山と押立山に行ってきましたが、その記事を
書くに当たり貴兄のHPより写真をお借りしたいのですが。
押立山頂の建造物が小さく写っているもの、南軽井沢ホテルの
絵葉書、鬼押し出しパンフの裏面という案内図。
以上の三枚ですが宜しくお願いいたします。
遼 さん(長野県・男性)2009.06.07
クタビレ爺イさん様。
早速に押立山へお見えになったのですね。
写真ですが、人物が写って居る訳でもありませんので、お使い戴いて構いませんが、詳細を説明させて頂きますので、お手間でも当方のHPへコメントを戴けましたら幸いです。
どうぞ宜しくお願い致します。
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